「悲しみのなかで見つけたもの」
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「悲しみのなかで見つけたもの」
チャプレン室 瑞慶山 真
悲しみに触れ、その悲しみを知ったことで自分も悲しくなることがあります。
自分にはどうしていいかがわからないでいると、虚しくなり、さみしくなって
悲しみが大きくなることがあります。
イエス・キリストを信じる決心をする少し前
十代の半ばごろ人間関係が辛くなっていた私は、周りを傷つけながら自分も傷ついていました。
“自分はいない方がいい人間、いてはいけないんだ“
“誰にもわかってもらえない”と、閉じこもっていた部屋の中で、
私を分かってくれる、大事に思ってくれる神様がいることを知りました。
なぜ、そう思えたのか。
それは両親が私に対して、どうにかして助けてあげたいと思っているのに、
背を向け、心を閉ざす私の姿に悲しんでいる悲しみを知ったからです。
心配している親の本気に触れた瞬間でした。
親は同等の思いで応えることを私に求めてはいませんでした。
ただ、私の本音を知って受け止めてあげたかったことを知り、自分が愛されていることを知って慰められたのです。
神様の望みは私たちの幸せです。
子どもが親の愛に気づかずに“自分は惨めでかわいそうだ”と思うほど、
親を悲しませることはありません。
もしかすると、その悲しみにふれることでしか、自分が何者かを思い出して、慰められたいと求めることをしないのかもしれません。
私たちを愛する我が子と思ってくださる神様がいらっしゃるのに、それなのに神様の愛を離れ、背を向け、気づこうとしない。
それでも人の理解は及ばないところで神様の悲しみを感じる、だから人は悲しいと感じるのではないでしょうか。
私たちの心を取り戻したい神様の悲しみはどれ程のものでしょう。
父なる神様と御子イエス・キリストは、ずっと一緒で思いも一つでした。
神様の愛をまだ知らないでいる人々に気づいてほしい一心で、イエス様は神様との離別と十字架の死も覚悟の上でこの地上に人として誕生されたのです。
人々の悲しみを知って近づき、手を差し伸べるためでした。
神様の愛と同じ基準に達していなければ、私たちは受け入れてもらえないという思がどこかにあるのかもしれません。
でも、そうではありません。
神様の本気の愛に、私の本心、ありのままの姿で応えればいいのです。
だからイエス様は“わたしたちのお父さん(神様)は、あなたを愛しているよ”
この真実を伝えるために、私たちがイエス様に近づき触れることができる所まで来てくださいました。
クリスマスはそうしてはじまったのです。
もうすぐクリスマス。いま悲しみの中にいる方々がイエス・キリストと出会い、父なる神様の愛によって慰められることを心からお祈りいたします。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。
(マタイの福音書5章4節)
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