「喜んでいる人とともに喜び、泣く人とともに泣くこと」

  • チャプレン室「こころのサプリメント」

「喜んでいる人とともに喜び、泣く人とともに泣くこと」

チャプレン室 金 知明(キム ジミョン)

 

誰と何によって繋がっているかは、状況や環境によって異なります。共通する環境で繋がっている人もいれば、物やお金で繋がる関係もあります。また、共通点や利害がなくても心で繋がっている関係もあります。

 

喉が渇いている人にいっぱいのお水を、お腹を空かせている人に温かいご飯と味噌汁を差し出すことは、体にみなぎる力と心を立て直す希望を与えてくれます。人々の救いは両手に有り余るものから始まるのではなく、相手の心に寄り添う愛から始まります。音楽のライブやスポーツ観戦だけではなく、日常生活においても同じ景色を見て同じ風を感じるとき、私たちの心は繋がり始めるのです。

 

多くの人が経験する出産、結婚、死、日常生活での様々な感情。忙しさや疲れを理由に、自分や相手へ無関心を装うこともできますが、生きている今こそ、いのちに目を向けるときかも知れません。人生を幸せに過ごすには、体だけではなく心のケアも必要です。様々な出来事を通して自分や相手と心を通わせながら、喜びや悲しみを分かち合うとき、人生はさらに輝きます。繋がる心を通して私たちの心が明るくされ、家族や職場の人間関係に光が差し込むのです。たとえ私には理解できず、受け入れられないことがあっても「相手にとって大事なものだから私も大事にする」ときに、価値観や優先順位の違いが合っても、相手と心を通わせることができます。

 

体はいつもそばにいるのに心が離れていることもあれば、遠く離れていても心がいつもそばにあることもあるでしょう。私たちの心は今どこに向いてるのか、自分の心を見失わず過ごしていたいのです。優しさや思いやりは目に見えないからといって、決してむなしいものではありません。愛のある寄り添いは物質や環境を越えて人と人の心を繋ぎます。多くの人が今日もいのちに向き合うことを通して心が繋がる喜び、希望の力を感じています。

 

私たちの一瞬の気遣いやたったひとつの仕草が、ときに人の心を繋ぎ、ときに離します。幼い頃、周りの人たちの愛情を心で感じていた私たちは、いつの間にか頭で物事を考えるようになります。成果を求められ、心の感情を押し殺して、傷だらけで疲れ果てる人生よりも、私たちの心を癒す愛に何度でも立ち帰り、心が繋がる喜びに生かされる毎日を送ろうではありませんか。

 

私が一人で寂しく崩れ落ちるとき、誰かが私のために祈っていることを知ると、今苦しみの中にある誰かのために心から祈ることができます。喜んでいる人とともに喜び、泣く人とともに泣くことは私たちが頭で考えている以上に、心の癒しと励まし、希望へ繋がる力となるのです。

 

喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。(ローマ12章15節)