「たとえ小さな信仰でも」
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「たとえ小さな信仰でも」
チャプレン室 瑞慶山 真
暗い夜道を歩くとき
手に灯りを持っているとそれだけで安心します。
周囲の様子だけでなく
自分の足元さえ見えないと
途端に安心でいられなくなってしまいます。
子どもの頃、歩いて二~三分のところに住んでいた祖母の家によく行きました。
通っていく道は、舗装されてない路地で
二つ角を曲がると何かに急き立てられるように走り出していました。
その祖母は年を重ね
一人では出来ないことが増え
どうしていいかが分からないと
体も心も疲れてしまい
病院や施設で過ごすようになっていました。
いつも引きこもっていた祖母でしたが
そこでイエス・キリストとの出会いを体験しました。
“光に向けば、光に包まれ照らされる”
当たり前のことが祖母の身にも起こりました。
八十を過ぎても、病気を患い十分な理解でなくても
“ただ信じる”
それだけで人は変われるということを
周囲の人たちの前で、祖母は証明する人にかえられたのです。
その祖母の笑顔は、まるでキリストの明かりを反射しているようでした。
「どうしていいかが分からない」という思いも
人の心に影を落とします。
自分は今どこに向かっているのだろうか
今いる場所で大丈夫だろうか
「どうしたらいい?」
「何がしたい?」
不安や焦り、心もとない思いが覆い被さります。
そのようなとき、足元が確かめられるなら安心でいられます。
必要なのは優しく照らすほのかなあかり。
心強いのは 目的地までの道筋がはっきり見えること。
強い光でなければ 遠くなるほど闇に飲み込まれてしまうから。
「わたしは世の光です」と言われたイエス・キリストは、
アガペの愛によって
今日もあなたの足元を明るくつつみ
行く先を照らしています。
あなたのみことばは、私の足のともしび 私の道の光です。
(詩篇119章105篇)
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