こころのサプリメント「疲れた人・重荷を負っている人に」

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こころのサプリメント「疲れた人・重荷を負っている人に」

チャプレン 泉川 留美子

 

詩集を読んでいたときに出会った、沖縄出身の詩人・山之口獏さんの詩です。

 

「世はさまざま」

人は米を食っている/ぼくの名と同じ名の/獏という獣は/夢を食うという

羊は紙も食い/南京虫は血を吸いに来る/人にはまた

人を食いに来る人や人を食いに出掛ける人もある

そうかとおもうと琉球には/うむまあ木という木がある

木としての器量はよくないが/詩人みたいな木なんだ

いつも墓場に立っていて/そこに来ては泣きくずれる

かなしい声や涙で育つという/うむまあ木という風変わりな木もある

「あすなろ書房・日本語を味わう名詩入門・藤原昌好編」より

 

「うむまあ木」は、和名では「ももたまな」、

うちなー口(沖縄の言葉)では「くわぁーでぃーさー」といいます。

沖縄県営平和祈念公園にも、たくさんの「うむまあ木」が植えられています。

「平和の礎」には戦争で亡くなった24万人あまりの人々の名前が刻まれています。

無念にこの世を去った方々の悲しみを癒すようにという

願いを込めて「うむまあ木」が植えられたのでしょうか。

広葉樹で、枝が横に広がっていき、

沖縄の暑い日差しをさえぎる木陰をつくるので、

校庭などにも植えられているようです。

 

出勤途中など毎日のように見かけている木でしたが、

獏さんの詩を通して、「かなしい声や涙で育つ」という

言い伝えがあることを初めて知りました。

 

「うむまあ木」の木を見るたび、

沖縄戦で亡くなった方々の叫びを聞いたり、多くの悲しみを受け止めて、

「うむまあ木」は大きくなったのだろうかと考えたりしています。

人は誰でも苦しい時、悲しい時、その心の声を聞いてくれる人を欲し、

心に寄り添ってくれる人が欲しいものです。

そのような人がいてくれたら、再び立ち上がることができ、

生きる力が湧いてくるのではないでしょうか。

 

イエス・キリストは、

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます(マタイ11:28)」と

私たちを招いておられます。

また、「神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。

神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。

もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない(黙示録21:3~4)」

という約束もしてくださっています。

 

友のない人、孤独で押し潰されそうな人、

そんな方がおられたら、ぜひ、イエス・キリストの招きに応じてみませんか?

イエス・キリストこそ、変わることのない愛をもって、

私たちのそばに寄り添ってくださいます。