「羊飼いと羊、神様と私」

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「羊飼いと羊、神様と私」

チャプレン室 瑞慶山 真

 

価値観を180度変えるほどの出会いがあります。

それが人物であったり、その人物の残した言葉であったりする場合があります。

この詩篇をよんだダビデも、多くの人の心を動かした一人です。

 

ダビデは後に、偉大な王と呼ばれるほどの人物になるのですが、

名の通った家柄でもなく田舎で暮らす羊飼いの少年でした。

羊飼いは、身分の低い者が就く職業というのがこの時代の人々の認識でした。羊は、人に飼い慣らされた家畜の中では最も手のかかる生き物だと言われます。飼う者がいなければ生きていけないと言われるほどです。

その羊たちを世話するために、羊飼いが心がけたことは羊たちと共に暮らし安心を与えることでした。

 

そのダビデは、神様と羊飼いを重ねてみていました。

当時の人たちからすればもしかすると、あり得ない考え、受け入れがたいものだったかもしれません。

ですが、神様はダビデの心をご覧になり、それを良しとして喜ばれたのです。

外見的に目に映る羊飼いではなく、

羊飼いの在り方そのものをよく知っていた彼だからこそ、

羊飼いと羊の関係を通して、神様を信頼する心を表したからです。

 

この詩篇をよんだダビデ王が、民を治めるためにとったリーダーシップは、

王である自分に民を従わせるのではなく、

羊の群れのために全責任を負う羊飼いと従順についていく羊の関係のように、自らが先頭に立って、自分たちを導かれる神様に仕えていくというものでした。

リーダーとしては、多くの成功と名声を治めたダビデ王ですが、失敗も多い人生であったことは、聖書は隠さず綴っています。

そのようなダビデ王を見捨てず、そのままにしておかれない神様だからこそ、ダビデは心を入れ替えてお仕えしなおすことが出来ました。

 

私たちは、いろんな状況におかれ責任を担う位置に立たされることもあります。そのようなとき後ろ盾があるのは誰にとっても心強いものだと思います。

ダビデが多くの人から今も尊敬されるリーダーとして愛されている理由が、

この詩篇のなかにたくさんあらわされていて、人々は心が揺さぶられるのだと思います。この詩篇はダビデの信仰にならおうとする多くの人々にとっても告白のことばとなりました

 

主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。

(詩篇23章1節)