こころのサプリメント「愛が試されるとき」
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こころのサプリメント「愛が試されるとき」
チャプレン室 金 知明(キム ミジョン)
足を洗うという言葉があります。
社会的に大きな罪を犯したわけではないのですが、
この言葉を聞くと考えさせられます。
施設内で利用者さんが入浴後、介抱をする病院スタッフの隣で
利用者さんの髪や足を乾かし、靴下や靴を履く際のお手伝いをさせていただくことがあります。
利用者さんの足に触れると、体温を感じます。
そして肌の乾燥や爪の曲がり具合、足の指だけではなく膝からの関節の動きなど、
目で確認できる以上の様子が伝わってくるのです。
それは身体機能的な部分に加えて、まるでその方が今までどのような歩みをされてきたのか、
うかがい知ることができます。
足といえば、
聖書に弟子たちの足を洗われる先生(イエス・キリスト)の話があります。
先生の足を弟子たちが洗うのは想像できますが、
弟子たちの足を先生が洗うということはあまり耳にしません。
戸惑う弟子たちを前に、イエス・キリストは彼らの足についた塵や埃を洗い流されました。
そしてそれは弟子たちの心の高ぶり、ストレス、怒り、悲しみをも洗い流すものとなったのです。
イエス・キリストは、どんな状況においても相手を愛(尊重)し尽くすことの模範を示されました。
コロナの拡大により、人との関わりが制限される中、
私たちはどこか相手への関心までも制限し、
今まで人との関わりで得られた有意義な時間を、
自問自答する時間へと変えられています。
まるで、マスクが表情や感情を隔てる大きな壁として
心の距離や隔たりを作るかのように、心構えてしまうのです。
あなたの一言で、目の前の人のストレスや心配を洗い流せるのなら。
あなたの一瞬の気遣いで、誰かの悲しみや孤独を洗い流せるのなら、
それほど素晴らしいことはありません。
今日も私たちは愛に生き、
愛が試される日常を生きているのです。
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